こんにちは!!
ロミロミの父こと
マハロ片山です。

私はプロレスが大好きだ。

しかし、プロレスラーの追悼文というのは
めったに書いたことがない。

理由はわからないけど、キーボードを打つことがない。

今日は、プロレスラーじゃないけれど追悼文書く。

私にゴングの誌面や解説を通じてプロレスの素晴らしさを教えて下さった
プロレス評論家の竹内宏介さんが亡くなった。

プロレス評論家 竹内宏介さん死去
2012年05月04日 14時35分
東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞選考委員」としても活躍したプロレス評論家、竹内宏介氏が3日午後8時24分、腸閉塞のため亡くなった。65歳。
竹内さんはベースボール・マガジン社に入社、19歳で「週刊プロレス」の前身である「プロレス&ボクシング」の編集長に就任。その後、日本スポーツ出版社の「ゴング」誌を立ち上げ、月刊、別冊ともに編集長を務め、後に同社の社長に就任した。全日本プロレス中継の解説者として、テレビでも活躍した。

東京スポーツWEBより
私が初めてプロレスを観て記憶に残っているのが
1968年正月の馬場VSリソワスキーのインター選手権。

その時血まみれのクラッシャーがマイクに食いついた。

夢の中にはクラッシャーの姿が浮かんでは消え、浮かんでは消え
4歳の私には悪夢となった。


父と見ていたプロレスに私は魅せられていった。

ザ・コンビクトVS高千穂や大木VSバーナードの試合に震え
馬場がキニスキーにインター選手権を獲られたときは、悔しくて布団を涙で濡らした。

ここまでは、普通のプロレスファンと同じ。

1971年、その頃地上波のゴールデンタイムで
週4回プロレスが放映されていた。

月曜 NETワールドプロレスリング(現テレビ朝日 日プロ猪木中心)
火曜 プロレスアワー(ニューヨークWWWF MSGのサンマルチノ)
水曜 国際プロレス中継
金曜 プロレス中継 (日プロ 馬場・猪木)
月曜と金曜は毎週見ていたが
国際とプロレスアワーは
「あまり面白くない」と父はあまり見たがらなかったが
小1の私がチャンネル権を握っていた。

私が小学校1年の3学期に「悪魔仮面」ミル・マスカラスが初来日した。

来日第一戦の星野勘太郎戦に衝撃を受けた、マスカラスは6歳の小僧にはかっこよすぎた。

私はテレビのプロレスだけでは満足できなくなってきた。

たまに遊びに来るオジさんが持ってくる「東京スポーツ」のプロレス面をむさぼり読んだ。

小学生で漢字も読めないくせに、活字を追っかけた。

でも、東スポは大人の読み物だと薄々感じていた。

その時、1面の下の広告欄の「別冊ゴング」の文字に目を奪われた。

「母さん、これ買って!!マスカラスがでている!!」
翌日、本屋でゴングを購入してもらった、250円だった。

カラーグラビアでマスカラスの勇姿にシビれた。

この日から、テレビと専門誌でプロレスを楽しむようになった。

何度も何度も読み返し、読みまくった。

難しい漢字があると辞書を引きながら読みあさった。

翌月の「別冊ゴング」の発売日が楽しみで仕方なかった。

ゴングは「別冊ゴング」の他に「ゴング(本誌)」も発売されていた。

本誌はプロレスのほかボクシングとキックボクシングも掲載されていた。

内容も異なっていたのだが、母親には「同じ内容」と思われていたので
当初は「別冊ゴング」しか買ってもらえなかった。
(のちに両方購入するようになる)

だから余計「別冊ゴング」は宝物だった。

15日の発売日が待ち遠しかった。

ゴングの編集長は竹内宏介さんだった。

私はゴングを通じて、竹内さんからいろいろなものを教わった。

・プロレスの楽しみ方
・多くのレスラー
・プロレスの歴史
・プロレスの技
・プロレスのファンタジー
・アメリカ及び世界の都市
・カッコイイ写真の撮り方
・ワクワクさせる文章

その他いろいろ教えてもらった。

ベースボールマガジン社から「プロレス&ボクシング」や「月刊プロレス」が
発売されていたけど、全然興味が持てなかった。

全くワクワクしないのだ。

ゴングは私の心をワクワクさせる、プロレスの教科書だった。

小学校・中学校・高校・社会人と
毎月ゴングを購入して、ゴングをボロボロになるまで読みまくった。

途中週刊ファイトも購入したけど、月刊プロレスはなぜか買わなかった。

20歳もいくつか過ぎた頃
ベースボールマガジン社が「週刊プロレス」を創刊した。

月刊誌の読み物や資料的価値を重視する紙面を
週刊にすることでニュースを追いかけるスタイルに流れを変えてしまった。

ゴングも後を追うように月刊誌から週刊誌にシフトした。

以降、ゴングような雑誌はムック本でしか見ることができなくなった。

そして現在、Gスピリッツが月刊誌時代のゴングのスピリッツが受けて継いでいる。

ゴングの編集長であった、清水勉氏と小佐野景浩氏はゴングを「竹内学校」と呼んだ。

専門誌作りのプロフェッショナル中のプロ。何しろベースボールマガジン社で19歳で
「プロレス&ボクシング」の編集長になった逸材。

編集会議で清水・小佐野両氏が企画をどんな企画を提案しても、竹内さんの企画には叶わなかったと聞いた。

以前、清水氏に「どうしてゴングの誌面は魅力的だったのでしょうか」と質問した。

清水氏は嬉しそうに教えてくれた。

1)フィルムをコダックのみ使用した。
2)写真選びに徹底的にこだわった。
3)印刷所を超メジャー印刷会社に出したことで写真の写りが圧倒的な美しさを表現できた。

その他紙質等も関係があると思うが
ゴングのレイアウトは他誌と比べて斬新で刺激的だった。

また竹内さんは国際・新日・そして全日のプロレス中継の解説をしていた。

上から目線ではなく、ファンと同じ視点でプロレスの素晴らしさを伝えてくれた。

「プロレスはレスラーが居ればいい」という人もいるだろうが
プロレスはレスラーとプロモーター
そして記者が伝えるから何十倍も楽しめるのだ。

テレビと会場と新聞では
ここまでプロレスにのめり込まなかった。

私は、ゴングを読んで、ゴングと共に生きてきた。

いまでもプロレスを観ているのは
ゴングそして竹内さんに出会ったから。

そして、ゴングにプロレスの楽しさ・素晴らしさ・奥深さを教えてもらった。

また私はゴングから
プロレスだけでなく地理や歴史や美意識や考え方を勉強させてもらった。

実社会や思考に大きな影響を与えてもらった。

竹内宏介さん
あなたがいたから、
プロレスの虜になりました

本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。

 

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