今から70年前の1945年(昭和20年)3月10日
前日から、東京は大空襲に見舞われました。

私の母は当時隅田川に近い、江東区佐賀町に住んでいました。
当時17歳だった母は、女子挺身隊として木場にあった藤倉電線(現フジクラ)の工場に勤労奉仕で工務を行っていました。

母の住んでいた佐賀町は、一面焼け野原になった下町で奇跡的に焼け残った場所で、母の家族は生き残ることが出来ました。しかし、多くの同級生や知り合いが焼死しました。

戦争とは、兵隊同士が戦うことが前提ですが、
アメリカが行った空襲は、民間人を大量に殺害する目的しました。
アメリカは木と紙で作られた日本家屋を想定し、焼夷弾を開発しました。

1945年3月9日から10日にかけて、
住民が逃げられないように円周上に焼夷弾を投下し、
その後内側を塗りつぶすように焼夷弾を投下しました。
この空襲により約10万人の犠牲者と約11万人の負傷者
東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失しました。

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東京大空襲は東京大虐殺、戦時国際法違反の行為です。

しかし、勝てば官軍負ければ賊軍。
すべてが否定される、これが現実。

だからこそ私たちは、
先人たちが命を張って守ったことを忘れてはいけません。

改めて、先の戦争にて亡くなった先人たちのご冥福をお祈りします。

「平和がいい」「戦争はいやだ」なんて
何時の世も、だれもがそう思っています。

「先人たちの意思を継ぐこと」

それは、現在そして未来、国民が安心して生活できる日本にすることなのです。