自分のなかにないんか?あんねん。

mahalostevek/ 1月 30, 2012/ 日常・雑感/ 0 comments


こんにちは!!
ロミロミの父こと
マハロ片山です。

仙台市の税理士、岩松正記先生に教えて頂いた
雑誌「ユリイカ」立川談志特集を読んでいます。

読み応えたっぷりです。
中でも
「人生は博奕と覚えたり」
月亭可朝インタビューは
深い。

以前、可朝さんがポーカー賭博で
大阪で干された時
東京で面倒を見たのが談志家元。

カンカン帽を被ってチョビヒゲ生やして
「ボインわぁ~~」なんて言って
ストーカーにされちゃいましたが
可朝さんは恐るべしです。

インタビューが
「談志師匠は変な贅沢はない人でしたね」
の問いに
可朝さんは答えます。

自分の目の前に物を置かんと満足できんひとは
自分の中にないねん。
美輪明宏さんと話したときに
「ブランド物なんかは使わないのですか」って訊いたら、
「私がブランドだから何もブランド物は欲しくない」と
言うてましたよ。
やっぱりええこと言わはるなと思うた。
そう考えると談志さんも豪邸やなんか言わへんでも
自分のなかにあんねん。
人生が楽しないというのも
自分のなかに何を見て、
何を感じるかで喜びの大きさも変わってくる。
刺激を感じるものが大きいほどそのひとは幸せですわ。
何にも考えんと目の前に見んことには、
幸せと感じんひとというのは、
物がなんぼあっても幸せにならへんがな。
どれがええということはみんな好みになってしまうから、
どれがええ、あれがええという評価は
ホンマなかなか決められたものじゃないねんな。
お金もそや、
貯金派と浪費派とどっちがええかというたら
どっちもええわけやから。



先日の日記で
40代以上の人と若者では
時代に足りない物が違うという
話をしました。

「幸せというのは
自分の価値観である」
という言葉を聞いたことがありますが
すべての基準の物差しは
自分の心の中にあります。

今日、カフェで話していたのですが
自分がきれいになりたいと思ったら
「これで十分だ」という終了がなくて
徹底的に美の追求をする。

要するに飢餓状態になってしまう。

同じ事かなと思います。

でも可朝さんの言うとおり
どれがええということはみんな好みになってしまうから、

どれがええ、あれがええという評価は
ホンマなかなか決められたものじゃないねんな。
なのですよね。

 

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